No.138
ザ・ピーナッツマン ジョージ・ワシントン・カーヴァーの物語 その1
#落花生豆知識 #落花生偉人伝 #ザ・ピーナッツ・マン #ジョージ・ワシントン・カーヴァー
ザ・ピーナッツ・マンと呼ばれるジョージ・カーヴァーってどんな人でしょう
今から150年ほど前のアメリカ南部に農業の伝道師と言われる人がいました。
ジョージ・ワシントン・カーバーです。
彼は不幸な身の上ながらも、農業の研究を重ね、特に黒人の農園に輪作の知識を広めました。
また落花生の栽培や可能性についての研究とその加工品開発でよく知られています。
「ザ・ピーナッツ・マン」と呼ばれるほどです。
アメリカの二宮尊徳のような人ですね。
***
不幸な身の上と言われるカーヴァーは幼少期どんなふうに育ったのでしょう
ジョージ・カーヴァーは1864年ミズーリ州で農園奴隷の子として育ちました。
父親は早く事故死し、まだ生後一週間のジョージと妹と母親は奴隷誘拐団にさらわれました。
所有者だったモーゼス・カーヴァー氏は人を雇い三人を探したものの、見つかったのは瀕死の状態のジョージのみ。
奴隷制度が終わると、モーゼス氏はジョージと兄の二人を自らの家族として育てました。
兄は農園を手伝いましたが、誘拐されている間に呼吸器を痛めた影響からジョージは労働ができません。
そこでモーゼスの妻はジョージに読み書きの他、家事や庭の世話、ハーブ薬の調合などを教えます。
植物に深く興味を持ったジョージは庭や農園の土壌の改良を試し、近隣から「植物学者」と呼ばれるようになりました。
ある日、近所の農園で起きた問題を解決し、その報酬を受け取るため、その家のキッチンに入ると、
彼は壁にかかった美しい花の絵に心を打たれ、植物学者を目指すことに決めました。
子供のころからすでに、片りんを見せていたのですね。
相当優秀な子供だったのでしょう。また育てたカーヴァー夫妻も立派です。
モーゼス・カーヴァー夫妻の農園の家
***
貧しかったカーヴァー少年の苦学を助けてくれた人がいたの?
自分たちの学区の学校へは、黒人の生徒の入学は認められていませんでした。
さらにモーゼス・カーヴァー家の家計が苦しくなってきたのを感じたジョージは、負担を減らすためにも家を離れることにしました。
しばらく放浪しながら身についた手仕事の技術で働いたり、風景画などの絵を描いたりしていましたが、やがて黒人だけの学校に通うことに決めました。
以前住んでいたカーヴァー家から16㎞離れた学校にたどり着いた時にはすでに夜で、校内は施錠されていました。
仕方なく、無断で近所の家の納屋に入り込み眠りましたが、翌朝親切なマライア・ワトキンスという女性が部屋を貸してくれることになりました。
その人に名前を尋ねられて「カーヴァー(さんの所有する)ジョージ」と答えたところ、
女性は「ジョージ・カーヴァーね」と言い、彼はその日からそう名乗ることになりました。
マライアは看護婦と助産師の仕事をし、夫のアンドリューは雑用係でした。
裕福ではなかったようですが、二人はカーヴァーを実の息子のように三年間家に住まわせました。
カーヴァーは家に置いてもらう代わりに、家事を手伝うことにしました。
彼はマライアを生涯尊敬し、彼女の「できる限り学び、それで世界に貢献すること」という言葉を忘れませんでした。
マライアは彼に部屋を貸してくれた上に、聖書も与えたそうです。
カーヴァーは亡くなる間際まで、これを毎日読んでいたといいます。
その後、カンザス州フォートスコットのアカデミーへの入学のために別の里親の家に移ったのですが、
その街で白人による黒人へのリンチ殺人を目撃してしまいます。
ショックを受けたカーヴァーは、同じカンザス州のミネアポリスの学校へ転校しました。
この事件を目撃したことは、彼の心へ大きな影を残したようです。
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https://www.shimodaen.com/p/free-page/pa...
グーグルでも高評価。
https://www.google.com/search?q=%E4%B8%8...
駐車場も4台。水曜定休。047-472-3311。習志野市大久保4-15-15
地図 https://goo.gl/maps/GcHt1iCqKDgv6JE5A
https://www.shimodaen.com/
参考資料:ものと人間の文化史154 落花生 前田和美 著 法政大学出版局
#落花生豆知識 #落花生偉人伝 #ザ・ピーナッツ・マン #ジョージ・ワシントン・カーヴァー
ザ・ピーナッツ・マンと呼ばれるジョージ・カーヴァーってどんな人でしょう
今から150年ほど前のアメリカ南部に農業の伝道師と言われる人がいました。
ジョージ・ワシントン・カーバーです。
彼は不幸な身の上ながらも、農業の研究を重ね、特に黒人の農園に輪作の知識を広めました。
また落花生の栽培や可能性についての研究とその加工品開発でよく知られています。
「ザ・ピーナッツ・マン」と呼ばれるほどです。
アメリカの二宮尊徳のような人ですね。
***
不幸な身の上と言われるカーヴァーは幼少期どんなふうに育ったのでしょう
ジョージ・カーヴァーは1864年ミズーリ州で農園奴隷の子として育ちました。
父親は早く事故死し、まだ生後一週間のジョージと妹と母親は奴隷誘拐団にさらわれました。
所有者だったモーゼス・カーヴァー氏は人を雇い三人を探したものの、見つかったのは瀕死の状態のジョージのみ。
奴隷制度が終わると、モーゼス氏はジョージと兄の二人を自らの家族として育てました。
兄は農園を手伝いましたが、誘拐されている間に呼吸器を痛めた影響からジョージは労働ができません。
そこでモーゼスの妻はジョージに読み書きの他、家事や庭の世話、ハーブ薬の調合などを教えます。
植物に深く興味を持ったジョージは庭や農園の土壌の改良を試し、近隣から「植物学者」と呼ばれるようになりました。
ある日、近所の農園で起きた問題を解決し、その報酬を受け取るため、その家のキッチンに入ると、
彼は壁にかかった美しい花の絵に心を打たれ、植物学者を目指すことに決めました。
子供のころからすでに、片りんを見せていたのですね。
相当優秀な子供だったのでしょう。また育てたカーヴァー夫妻も立派です。
モーゼス・カーヴァー夫妻の農園の家
***
貧しかったカーヴァー少年の苦学を助けてくれた人がいたの?
自分たちの学区の学校へは、黒人の生徒の入学は認められていませんでした。
さらにモーゼス・カーヴァー家の家計が苦しくなってきたのを感じたジョージは、負担を減らすためにも家を離れることにしました。
しばらく放浪しながら身についた手仕事の技術で働いたり、風景画などの絵を描いたりしていましたが、やがて黒人だけの学校に通うことに決めました。
以前住んでいたカーヴァー家から16㎞離れた学校にたどり着いた時にはすでに夜で、校内は施錠されていました。
仕方なく、無断で近所の家の納屋に入り込み眠りましたが、翌朝親切なマライア・ワトキンスという女性が部屋を貸してくれることになりました。
その人に名前を尋ねられて「カーヴァー(さんの所有する)ジョージ」と答えたところ、
女性は「ジョージ・カーヴァーね」と言い、彼はその日からそう名乗ることになりました。
マライアは看護婦と助産師の仕事をし、夫のアンドリューは雑用係でした。
裕福ではなかったようですが、二人はカーヴァーを実の息子のように三年間家に住まわせました。
カーヴァーは家に置いてもらう代わりに、家事を手伝うことにしました。
彼はマライアを生涯尊敬し、彼女の「できる限り学び、それで世界に貢献すること」という言葉を忘れませんでした。
マライアは彼に部屋を貸してくれた上に、聖書も与えたそうです。
カーヴァーは亡くなる間際まで、これを毎日読んでいたといいます。
その後、カンザス州フォートスコットのアカデミーへの入学のために別の里親の家に移ったのですが、
その街で白人による黒人へのリンチ殺人を目撃してしまいます。
ショックを受けたカーヴァーは、同じカンザス州のミネアポリスの学校へ転校しました。
この事件を目撃したことは、彼の心へ大きな影を残したようです。
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地図 https://goo.gl/maps/GcHt1iCqKDgv6JE5A
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参考資料:ものと人間の文化史154 落花生 前田和美 著 法政大学出版局