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ザ・ピーナッツマン ジョージ・ワシントン・カーヴァーの物語 その3
#落花生豆知識 #落花生偉人伝 #ザ・ピーナッツ・マン #ジョージ・ワシントン・カーヴァー
その1 その2 の続きです。
カーヴァーの主な業績をまとめると?
黒人奴隷の子供だったカーヴァーは苦学の末、アラバマ州のタスキギー研究所で農産作物の病気の予防や治療の研究にあたりました。
また綿花と落花生の輪作で連作障害を防ぐこと、肥料の使い分けや深耕などの新しい農法指導にも力を入れました。
当時の米南部の農家は、自分たちはすでに農業の知識を持っているので
学者からの指導は不要と考える人も多く、苦労したそうですが、
カーヴァーは移動公開講座を開くための専用ワゴン車を作るなどして、農業振興に勤めました。
それによって南部の農業や経済に多大な貢献をしたと評価されています。
その他、落花生や他の作物で様々な農産加工品の発明・研究をしたそうです。
カーヴァーの発明や研究した加工品は?
カーヴァーは一説によると300近い農産加工品の発明・研究をしていたと言われています。
製品化されたかどうかは別にして、熱心に取り組んでいたようです。
例えば
ピーナツミルクバター
ピーナツパンケーキ粉
ピーナツミール
チリソースピーナツケーキ
ピーナツケーキ
ピーナツクリームキャンディー
・
・
・
などなど…
リストを見るとその他ドリンクや食用油、薬、保存食、化粧品、石鹸、紙や染料などの工業製品まであります。
全容をご覧になりたい方はこちらのリンクページをご覧ください。
カーヴァーがピーナッツ・マンと呼ばれるきっかけは?
1920年ごろ、安値の中国産落花生に米国産落花生は市場を奪われつつありました。
そこで1921年に、議会にて落花生農家と関係者は関税の要求をすることになりました。
カーヴァーはここに呼ばれ、その必要性を訴えました。
その議会で黒人であるという理由で冷笑されたり、スピーチの時間を10分に制限されました。
しかしアメリカ農業における落花生の重要性を語ったカーヴァーの話に議会は聴き入り、
議長はスピーチの延長を何度も許可し話を求めました。
結果、翌年、落花生への関税が認められました。
この議会におけるカーヴァーのスピーチは高い評価を呼び,著名人となり
「ザ・ピーナッツ・マン」と呼ばれるようになったのです。
その後のピーナッツマン・カーヴァーはどうなったのか
著名人となったカーヴァーは雑誌に連載を持ったり、政界や財界の実力者たちと親交を持ちました。例えばセオドア・ルーズベルト、カルビン・クーリッジ、フランクリン・ルーズベルトの3人のアメリカ大統領やスウェーデン皇太子、自動車王のヘンリー・フォードなどです。
フォードは体力のないカーヴァーが高齢になったとき、彼の住む研究所の寮にエレベーターを設置するほどの仲でした。
カーヴァーを讃えた栄誉は?
カーヴァーは存命中から様々な表彰や名誉を受けました。
一部ですが例えば、
ロンドン王立芸術奨励協会のフェローに任命
スピンガーン メダルを受賞
「ライフ オブ ジョージ ワシントン カーバー」映画の制作
ジョージ ワシントン カーバー博物館の設立
死去時にルーズベルト大統領から顕彰の言葉と、記念庭園の建設
記念切手
原子力潜水艦「ジョージ・ワシントン・カーヴァー」の建造
などです。
他にも彼の名前の付いた施設がこんなにもあります。リンク先を見てください。
それだけアメリカ人にとって、カーヴァーと落花生というのは身近で大切なものなんですね。
--------------------------------
落花生についてもっと知りたい人は
↓をクリックしてください!
#落花生豆知識 #knowledgeofpeanuts
そんな不思議な豆の落花生を食べたいなら、丁寧に作られた下田園の落花生!
美味しい落花生の選び方はこちら!
https://www.shimodaen.com/p/free-page/pa...
グーグルでも高評価。
https://www.google.com/search?q=%E4%B8%8...
駐車場も4台。水曜定休。047-472-3311。習志野市大久保4-15-15
地図 https://goo.gl/maps/GcHt1iCqKDgv6JE5A
https://www.shimodaen.com/
参考資料:ものと人間の文化史154 落花生 前田和美 著 法政大学出版局
#落花生豆知識 #落花生偉人伝 #ザ・ピーナッツ・マン #ジョージ・ワシントン・カーヴァー
その1 その2 の続きです。
カーヴァーの主な業績をまとめると?
黒人奴隷の子供だったカーヴァーは苦学の末、アラバマ州のタスキギー研究所で農産作物の病気の予防や治療の研究にあたりました。
また綿花と落花生の輪作で連作障害を防ぐこと、肥料の使い分けや深耕などの新しい農法指導にも力を入れました。
当時の米南部の農家は、自分たちはすでに農業の知識を持っているので
学者からの指導は不要と考える人も多く、苦労したそうですが、
カーヴァーは移動公開講座を開くための専用ワゴン車を作るなどして、農業振興に勤めました。
それによって南部の農業や経済に多大な貢献をしたと評価されています。
その他、落花生や他の作物で様々な農産加工品の発明・研究をしたそうです。
カーヴァーの発明や研究した加工品は?
カーヴァーは一説によると300近い農産加工品の発明・研究をしていたと言われています。
製品化されたかどうかは別にして、熱心に取り組んでいたようです。
例えば
ピーナツミルクバター
ピーナツパンケーキ粉
ピーナツミール
チリソースピーナツケーキ
ピーナツケーキ
ピーナツクリームキャンディー
・
・
・
などなど…
リストを見るとその他ドリンクや食用油、薬、保存食、化粧品、石鹸、紙や染料などの工業製品まであります。
全容をご覧になりたい方はこちらのリンクページをご覧ください。
カーヴァーがピーナッツ・マンと呼ばれるきっかけは?
1920年ごろ、安値の中国産落花生に米国産落花生は市場を奪われつつありました。
そこで1921年に、議会にて落花生農家と関係者は関税の要求をすることになりました。
カーヴァーはここに呼ばれ、その必要性を訴えました。
その議会で黒人であるという理由で冷笑されたり、スピーチの時間を10分に制限されました。
しかしアメリカ農業における落花生の重要性を語ったカーヴァーの話に議会は聴き入り、
議長はスピーチの延長を何度も許可し話を求めました。
結果、翌年、落花生への関税が認められました。
この議会におけるカーヴァーのスピーチは高い評価を呼び,著名人となり
「ザ・ピーナッツ・マン」と呼ばれるようになったのです。
その後のピーナッツマン・カーヴァーはどうなったのか
著名人となったカーヴァーは雑誌に連載を持ったり、政界や財界の実力者たちと親交を持ちました。例えばセオドア・ルーズベルト、カルビン・クーリッジ、フランクリン・ルーズベルトの3人のアメリカ大統領やスウェーデン皇太子、自動車王のヘンリー・フォードなどです。
フォードは体力のないカーヴァーが高齢になったとき、彼の住む研究所の寮にエレベーターを設置するほどの仲でした。
カーヴァーを讃えた栄誉は?
カーヴァーは存命中から様々な表彰や名誉を受けました。
一部ですが例えば、
ロンドン王立芸術奨励協会のフェローに任命
スピンガーン メダルを受賞
「ライフ オブ ジョージ ワシントン カーバー」映画の制作
ジョージ ワシントン カーバー博物館の設立
死去時にルーズベルト大統領から顕彰の言葉と、記念庭園の建設
記念切手
原子力潜水艦「ジョージ・ワシントン・カーヴァー」の建造
などです。
他にも彼の名前の付いた施設がこんなにもあります。リンク先を見てください。
それだけアメリカ人にとって、カーヴァーと落花生というのは身近で大切なものなんですね。
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そんな不思議な豆の落花生を食べたいなら、丁寧に作られた下田園の落花生!
美味しい落花生の選び方はこちら!
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グーグルでも高評価。
https://www.google.com/search?q=%E4%B8%8...
駐車場も4台。水曜定休。047-472-3311。習志野市大久保4-15-15
地図 https://goo.gl/maps/GcHt1iCqKDgv6JE5A
https://www.shimodaen.com/
参考資料:ものと人間の文化史154 落花生 前田和美 著 法政大学出版局
ザ・ピーナッツマン ジョージ・ワシントン・カーヴァーの物語 その1
#落花生豆知識 #落花生偉人伝 #ザ・ピーナッツ・マン #ジョージ・ワシントン・カーヴァー
ザ・ピーナッツ・マンと呼ばれるジョージ・カーヴァーってどんな人でしょう
今から150年ほど前のアメリカ南部に農業の伝道師と言われる人がいました。
ジョージ・ワシントン・カーバーです。
彼は不幸な身の上ながらも、農業の研究を重ね、特に黒人の農園に輪作の知識を広めました。
また落花生の栽培や可能性についての研究とその加工品開発でよく知られています。
「ザ・ピーナッツ・マン」と呼ばれるほどです。
アメリカの二宮尊徳のような人ですね。
***
不幸な身の上と言われるカーヴァーは幼少期どんなふうに育ったのでしょう
ジョージ・カーヴァーは1864年ミズーリ州で農園奴隷の子として育ちました。
父親は早く事故死し、まだ生後一週間のジョージと妹と母親は奴隷誘拐団にさらわれました。
所有者だったモーゼス・カーヴァー氏は人を雇い三人を探したものの、見つかったのは瀕死の状態のジョージのみ。
奴隷制度が終わると、モーゼス氏はジョージと兄の二人を自らの家族として育てました。
兄は農園を手伝いましたが、誘拐されている間に呼吸器を痛めた影響からジョージは労働ができません。
そこでモーゼスの妻はジョージに読み書きの他、家事や庭の世話、ハーブ薬の調合などを教えます。
植物に深く興味を持ったジョージは庭や農園の土壌の改良を試し、近隣から「植物学者」と呼ばれるようになりました。
ある日、近所の農園で起きた問題を解決し、その報酬を受け取るため、その家のキッチンに入ると、
彼は壁にかかった美しい花の絵に心を打たれ、植物学者を目指すことに決めました。
子供のころからすでに、片りんを見せていたのですね。
相当優秀な子供だったのでしょう。また育てたカーヴァー夫妻も立派です。
モーゼス・カーヴァー夫妻の農園の家
***
貧しかったカーヴァー少年の苦学を助けてくれた人がいたの?
自分たちの学区の学校へは、黒人の生徒の入学は認められていませんでした。
さらにモーゼス・カーヴァー家の家計が苦しくなってきたのを感じたジョージは、負担を減らすためにも家を離れることにしました。
しばらく放浪しながら身についた手仕事の技術で働いたり、風景画などの絵を描いたりしていましたが、やがて黒人だけの学校に通うことに決めました。
以前住んでいたカーヴァー家から16㎞離れた学校にたどり着いた時にはすでに夜で、校内は施錠されていました。
仕方なく、無断で近所の家の納屋に入り込み眠りましたが、翌朝親切なマライア・ワトキンスという女性が部屋を貸してくれることになりました。
その人に名前を尋ねられて「カーヴァー(さんの所有する)ジョージ」と答えたところ、
女性は「ジョージ・カーヴァーね」と言い、彼はその日からそう名乗ることになりました。
マライアは看護婦と助産師の仕事をし、夫のアンドリューは雑用係でした。
裕福ではなかったようですが、二人はカーヴァーを実の息子のように三年間家に住まわせました。
カーヴァーは家に置いてもらう代わりに、家事を手伝うことにしました。
彼はマライアを生涯尊敬し、彼女の「できる限り学び、それで世界に貢献すること」という言葉を忘れませんでした。
マライアは彼に部屋を貸してくれた上に、聖書も与えたそうです。
カーヴァーは亡くなる間際まで、これを毎日読んでいたといいます。
その後、カンザス州フォートスコットのアカデミーへの入学のために別の里親の家に移ったのですが、
その街で白人による黒人へのリンチ殺人を目撃してしまいます。
ショックを受けたカーヴァーは、同じカンザス州のミネアポリスの学校へ転校しました。
この事件を目撃したことは、彼の心へ大きな影を残したようです。
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#落花生豆知識 #knowledgeofpeanuts
そんな不思議な豆の落花生を食べたいなら、丁寧に作られた下田園の落花生!
美味しい落花生の選び方はこちら!
https://www.shimodaen.com/p/free-page/pa...
グーグルでも高評価。
https://www.google.com/search?q=%E4%B8%8...
駐車場も4台。水曜定休。047-472-3311。習志野市大久保4-15-15
地図 https://goo.gl/maps/GcHt1iCqKDgv6JE5A
https://www.shimodaen.com/
参考資料:ものと人間の文化史154 落花生 前田和美 著 法政大学出版局
#落花生豆知識 #落花生偉人伝 #ザ・ピーナッツ・マン #ジョージ・ワシントン・カーヴァー
ザ・ピーナッツ・マンと呼ばれるジョージ・カーヴァーってどんな人でしょう
今から150年ほど前のアメリカ南部に農業の伝道師と言われる人がいました。
ジョージ・ワシントン・カーバーです。
彼は不幸な身の上ながらも、農業の研究を重ね、特に黒人の農園に輪作の知識を広めました。
また落花生の栽培や可能性についての研究とその加工品開発でよく知られています。
「ザ・ピーナッツ・マン」と呼ばれるほどです。
アメリカの二宮尊徳のような人ですね。
***
不幸な身の上と言われるカーヴァーは幼少期どんなふうに育ったのでしょう
ジョージ・カーヴァーは1864年ミズーリ州で農園奴隷の子として育ちました。
父親は早く事故死し、まだ生後一週間のジョージと妹と母親は奴隷誘拐団にさらわれました。
所有者だったモーゼス・カーヴァー氏は人を雇い三人を探したものの、見つかったのは瀕死の状態のジョージのみ。
奴隷制度が終わると、モーゼス氏はジョージと兄の二人を自らの家族として育てました。
兄は農園を手伝いましたが、誘拐されている間に呼吸器を痛めた影響からジョージは労働ができません。
そこでモーゼスの妻はジョージに読み書きの他、家事や庭の世話、ハーブ薬の調合などを教えます。
植物に深く興味を持ったジョージは庭や農園の土壌の改良を試し、近隣から「植物学者」と呼ばれるようになりました。
ある日、近所の農園で起きた問題を解決し、その報酬を受け取るため、その家のキッチンに入ると、
彼は壁にかかった美しい花の絵に心を打たれ、植物学者を目指すことに決めました。
子供のころからすでに、片りんを見せていたのですね。
相当優秀な子供だったのでしょう。また育てたカーヴァー夫妻も立派です。
モーゼス・カーヴァー夫妻の農園の家
***
貧しかったカーヴァー少年の苦学を助けてくれた人がいたの?
自分たちの学区の学校へは、黒人の生徒の入学は認められていませんでした。
さらにモーゼス・カーヴァー家の家計が苦しくなってきたのを感じたジョージは、負担を減らすためにも家を離れることにしました。
しばらく放浪しながら身についた手仕事の技術で働いたり、風景画などの絵を描いたりしていましたが、やがて黒人だけの学校に通うことに決めました。
以前住んでいたカーヴァー家から16㎞離れた学校にたどり着いた時にはすでに夜で、校内は施錠されていました。
仕方なく、無断で近所の家の納屋に入り込み眠りましたが、翌朝親切なマライア・ワトキンスという女性が部屋を貸してくれることになりました。
その人に名前を尋ねられて「カーヴァー(さんの所有する)ジョージ」と答えたところ、
女性は「ジョージ・カーヴァーね」と言い、彼はその日からそう名乗ることになりました。
マライアは看護婦と助産師の仕事をし、夫のアンドリューは雑用係でした。
裕福ではなかったようですが、二人はカーヴァーを実の息子のように三年間家に住まわせました。
カーヴァーは家に置いてもらう代わりに、家事を手伝うことにしました。
彼はマライアを生涯尊敬し、彼女の「できる限り学び、それで世界に貢献すること」という言葉を忘れませんでした。
マライアは彼に部屋を貸してくれた上に、聖書も与えたそうです。
カーヴァーは亡くなる間際まで、これを毎日読んでいたといいます。
その後、カンザス州フォートスコットのアカデミーへの入学のために別の里親の家に移ったのですが、
その街で白人による黒人へのリンチ殺人を目撃してしまいます。
ショックを受けたカーヴァーは、同じカンザス州のミネアポリスの学校へ転校しました。
この事件を目撃したことは、彼の心へ大きな影を残したようです。
--------------------------------
落花生についてもっと知りたい人は
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#落花生豆知識 #knowledgeofpeanuts
そんな不思議な豆の落花生を食べたいなら、丁寧に作られた下田園の落花生!
美味しい落花生の選び方はこちら!
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グーグルでも高評価。
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駐車場も4台。水曜定休。047-472-3311。習志野市大久保4-15-15
地図 https://goo.gl/maps/GcHt1iCqKDgv6JE5A
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参考資料:ものと人間の文化史154 落花生 前田和美 著 法政大学出版局
世界一有名な落花生農家! ジミー・カーター元大統領と落花生はどういう関係?
#落花生豆知識 #落花生偉人伝 #ジミー・カーター
カーター氏ってどんな人?
第39代アメリカ大統領で民主党の人でした。jimmy who? (ジミー誰だって?)と揶揄されるくらい知名度が低かったのですが、笑顔とクリーンなイメージに加え世論調査を重視した戦略で1977年に大統領になりました。しかしイランのアメリカ大使館人質事件などの攻略失敗などで評価を下げ、1981年に辞任となりました。
カーター氏と落花生って?
元アメリカ大統領ジミー・カーターのホームページには「ピーナッツ」という独立したページがあります。実はカーター元大統領は農家の出身でした。子供の頃街角に立ち、自分で茹でた落花生を売ったり、新婚当時は奥さんと共に図書館で自らピーナッツの栽培研究をしたことがあるのです。だから落花生に対して思い入れが強いのです。
土壌を破壊しやすい綿花と、土の栄養となる窒素を放出する落花生を輪作することは大変好適な組合せです。カーター氏の故郷、綿花生産の盛んな米南部で落花生が広まったのはこういう背景があったのでしょう。
余談ですが、そのページで興味深いことが紹介されていました。米大統領のうち、カーター氏より先に落花生を栽培し、普及に貢献していた人がいました。元植物学者のトーマス・ジェファーソンです。このおかげで南北戦争時に兵士が栄養価の高いピーナツを食べることができるようになりました。カラがついていてもむいていても、落花生は持ち運びにも便利そうですよね。
カーター氏が大統領選に臨んだ時には、ピーナッツが彼と出身の町のシンボルとなりました。カーター氏のトレードマークは笑顔で、ニカッと笑う口元が特徴的でした。落花生にその口を描いた風刺画やキャラクターグッズも登場しました。ただ田舎出身の落花生(グーバーナッツ)農家が呑気に笑っているのがまぬけ(グーバー)に見えるという、陰口もありました。
(ピーナツを「グーバーナッツ」と呼ぶのは諸説あるようですが、ここで紹介されているのはコンゴでのピーナッツの呼び名「ングバ」がなまって定着したからではないかという説です。ピーナツは南米・西アフリカ・アメリカの奴隷貿易の間にアフリカでまず定着し、アメリカに持ち込まれたという話があります。おそらく黒人奴隷たちが畑で育てていたのではないでしょうか。また落花生は奴隷や田舎者や家畜の食べ物という偏見があり、グーバー=
=まぬけ、という使われ方もされています。カーター氏の地元ジョージア州はアメリカの約半分の落花生を生産しており、グーバーステイトという呼び名もあります。ただ悪い意味だけじゃなく、のんびりした、のんきなという使われ方もしてるようです)
カーター氏の出身と経歴は? 落花生農家?
カーターファミリーストア
ジミー・カーターは1924年に360エーカー(東京ドーム31個分)という農家に生まれました。彼の父親が作り始めた落花生はスパニッシュ種という小さめの品種でした。これは豚の飼料や加工品に用いられました。3エーカーで1トンの収穫があったそうですが、これは良い出来だったそうです。またジミー少年は五歳の時に、地元プレーンズの街角でゆでピーナツを売りました。
カーター氏は落花生の栽培について以下のように振り返っています。トラックの後輪から平ベルトをかけて脱穀機を駆動させ、脱穀後の実はソリに載せてロバに運ばせた。豆を摘む脱穀作業は、その土地の男たちみんなが手伝った重要な仕事だった、とのことです。
父親が亡くなった後、カーター氏は海軍から地元に戻り、農産物販売所と農地を管理することになりました。
父親は種豆農家から落花生の種豆を買って、生産農家に転売する業務もやっていましたが、カーター氏はこの種豆も自ら栽培し販売する方法で収益を高めました。
その増えた収益から窒素や肥料の供給をする倉庫業、綿やコーンの買付・加工、さらには保険業まで手を拡げました。
大統領になった後、職務とこれらのビジネスが利益相反しないよう、法律事務所に管理を任せました。しかしその間に干ばつなどの影響で借金が大きく膨らみ、売却されることになりました。
ただいまでもプレーンズの町は落花生の町です。人口は700人ですが、九月末には落花生収穫祭が開かれています。
現在のカーター氏は?
カーター氏は近年、度重なる癌やケガとの戦いに打ち勝ち、2022年8月現在も存命の98歳。歴代米大統領として最長寿です。
物心ついた時の米大統領がカーター氏でした。ニッコリ笑う優し気で若々しい姿を良く憶えています。90年代の東アジア危機の時も特別大使として活躍されていました。いつまでもお元気でいて欲しいものです。
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#落花生豆知識 #knowledgeofpeanuts
そんな不思議な豆の落花生を食べたいなら、丁寧に作られた下田園の落花生!
美味しい落花生の選び方はこちら!
https://www.shimodaen.com/p/free-page/pa...
グーグルでも高評価。
https://www.google.com/search?q=%E4%B8%8...
駐車場も4台。水曜定休。047-472-3311。習志野市大久保4-15-15
地図 https://goo.gl/maps/GcHt1iCqKDgv6JE5A
https://www.shimodaen.com/
#落花生豆知識 #落花生偉人伝 #ジミー・カーター
カーター氏ってどんな人?
第39代アメリカ大統領で民主党の人でした。jimmy who? (ジミー誰だって?)と揶揄されるくらい知名度が低かったのですが、笑顔とクリーンなイメージに加え世論調査を重視した戦略で1977年に大統領になりました。しかしイランのアメリカ大使館人質事件などの攻略失敗などで評価を下げ、1981年に辞任となりました。
カーター氏と落花生って?
元アメリカ大統領ジミー・カーターのホームページには「ピーナッツ」という独立したページがあります。実はカーター元大統領は農家の出身でした。子供の頃街角に立ち、自分で茹でた落花生を売ったり、新婚当時は奥さんと共に図書館で自らピーナッツの栽培研究をしたことがあるのです。だから落花生に対して思い入れが強いのです。
土壌を破壊しやすい綿花と、土の栄養となる窒素を放出する落花生を輪作することは大変好適な組合せです。カーター氏の故郷、綿花生産の盛んな米南部で落花生が広まったのはこういう背景があったのでしょう。
余談ですが、そのページで興味深いことが紹介されていました。米大統領のうち、カーター氏より先に落花生を栽培し、普及に貢献していた人がいました。元植物学者のトーマス・ジェファーソンです。このおかげで南北戦争時に兵士が栄養価の高いピーナツを食べることができるようになりました。カラがついていてもむいていても、落花生は持ち運びにも便利そうですよね。
カーター氏が大統領選に臨んだ時には、ピーナッツが彼と出身の町のシンボルとなりました。カーター氏のトレードマークは笑顔で、ニカッと笑う口元が特徴的でした。落花生にその口を描いた風刺画やキャラクターグッズも登場しました。ただ田舎出身の落花生(グーバーナッツ)農家が呑気に笑っているのがまぬけ(グーバー)に見えるという、陰口もありました。
(ピーナツを「グーバーナッツ」と呼ぶのは諸説あるようですが、ここで紹介されているのはコンゴでのピーナッツの呼び名「ングバ」がなまって定着したからではないかという説です。ピーナツは南米・西アフリカ・アメリカの奴隷貿易の間にアフリカでまず定着し、アメリカに持ち込まれたという話があります。おそらく黒人奴隷たちが畑で育てていたのではないでしょうか。また落花生は奴隷や田舎者や家畜の食べ物という偏見があり、グーバー=
=まぬけ、という使われ方もされています。カーター氏の地元ジョージア州はアメリカの約半分の落花生を生産しており、グーバーステイトという呼び名もあります。ただ悪い意味だけじゃなく、のんびりした、のんきなという使われ方もしてるようです)
カーター氏の出身と経歴は? 落花生農家?
カーターファミリーストア
ジミー・カーターは1924年に360エーカー(東京ドーム31個分)という農家に生まれました。彼の父親が作り始めた落花生はスパニッシュ種という小さめの品種でした。これは豚の飼料や加工品に用いられました。3エーカーで1トンの収穫があったそうですが、これは良い出来だったそうです。またジミー少年は五歳の時に、地元プレーンズの街角でゆでピーナツを売りました。
カーター氏は落花生の栽培について以下のように振り返っています。トラックの後輪から平ベルトをかけて脱穀機を駆動させ、脱穀後の実はソリに載せてロバに運ばせた。豆を摘む脱穀作業は、その土地の男たちみんなが手伝った重要な仕事だった、とのことです。
父親が亡くなった後、カーター氏は海軍から地元に戻り、農産物販売所と農地を管理することになりました。
父親は種豆農家から落花生の種豆を買って、生産農家に転売する業務もやっていましたが、カーター氏はこの種豆も自ら栽培し販売する方法で収益を高めました。
その増えた収益から窒素や肥料の供給をする倉庫業、綿やコーンの買付・加工、さらには保険業まで手を拡げました。
大統領になった後、職務とこれらのビジネスが利益相反しないよう、法律事務所に管理を任せました。しかしその間に干ばつなどの影響で借金が大きく膨らみ、売却されることになりました。
ただいまでもプレーンズの町は落花生の町です。人口は700人ですが、九月末には落花生収穫祭が開かれています。
現在のカーター氏は?
カーター氏は近年、度重なる癌やケガとの戦いに打ち勝ち、2022年8月現在も存命の98歳。歴代米大統領として最長寿です。
物心ついた時の米大統領がカーター氏でした。ニッコリ笑う優し気で若々しい姿を良く憶えています。90年代の東アジア危機の時も特別大使として活躍されていました。いつまでもお元気でいて欲しいものです。
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そんな不思議な豆の落花生を食べたいなら、丁寧に作られた下田園の落花生!
美味しい落花生の選び方はこちら!
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グーグルでも高評価。
https://www.google.com/search?q=%E4%B8%8...
駐車場も4台。水曜定休。047-472-3311。習志野市大久保4-15-15
地図 https://goo.gl/maps/GcHt1iCqKDgv6JE5A
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